2010年4月22日木曜日

P.Funkよもやま話:ブーツィーがP.Funkに参加するまでのヒストリー

たまにはP.FUNK話を。

ブーツィー・コリンズとジョージ・クリントンの邂逅はP.FUNKのみならずファンク全般の歴史の中でもハイライトの一つだと思う。出会ったのは1972年、先日亡くなってしまったマリア・フランクリンがブーツィーをジョージに紹介したというのが定説だ。(本人たちもそう語っていると思う)

その後、ブーツィーは1972年のファンカデリックのアルバム「America Eats Its Young」に参加し・・・、というところまでは自然な流れなのだけど、その次にブーツィーが参加するのは1974年のパーラメントの「Up For Down Stroke」まで2年ほどブランクが空いているのだ。

この辺の経緯については数年前に出たパーラメントのCD BOXセットのライナー(河地
依子さんの渾身の執筆!)にも書かれており近年ようやくそのブランクが何であったのかは判明したのだけど、10代後半のころにP.FUNKにハマッった時に最初にぶつかった疑問がこのブランクだった。
さらに言えば、「ブーツィーはアルバムでベースは弾いているけど、ツアーメンバーとして一緒には行動をしていない」という事実。
そのあたりは当時まだ海賊版でしかなかったアースツアーのヴィデオなどで判明するのだが、ブーツィーは1976年にはソロデビューをし、ツアーはあくまで自身のグループでP.FUNKに参加という事だったのだが、あの2年間にブーツィーが何をしていたのか、はP.FUNKヒストリーにおけるちょっとした”ミッシング・リンク”だと思う。

その前後も含めてP.FUNKとブーツィーの関わりを軸に、彼の足取りを簡単にまとめるとこんな感じ。

1970
春 James Brownのバンドに兄Phelpsと共に加入

1971
James Brownの元を離れ、House Guests結成
Phelps Collins(g), Rufus Allen, Clayton "Chicken" Gunnels(tp), Frank "Kash" Waddy(ds), Ronnie Greenaway and Robert McCullough(sax)

"What So Never The Dance" pt. 1 /"What So Never The Dance" pt. 2 (1971)
"My Mind Set Me Free" pt. 1 / "My Mind Set Me Free" pt. 2 (1971)
2枚のEPをリリース

1972
・Bootsey Phelps and the Complete Strangers / Fun In Your Thing (pt1 & pt2)

・Funkadelic「America Eats Its Young」発売
ブーツィーによる曲”Philmore”収録

1973
・Funkadelixアルバム「Cosmic Slop」発売
ブーツィーは不参加だが、タイトル曲は一説によればブーツィーのグループがライブのオープニングで演奏していたとも

1974
・Bootsy Phelps And Gary / Together In Heaven (part1) b/w Together In Heaven (part2)リリースWilliam Collins Music BMI 740536 Philmore Sound
keyboardのS.Talbert=Sonny Talbert、Sunのメンバーだったこともある。Bootsyの1stソロアルバムにもクレジットあり

・Parliamentアルバム「Up For The Downstroke」発売
パーラメント名義では4年ぶり、カサブランカとの契約
タイトル曲にベース、曲つくりで参加、Parliamentとしては初めてのヒットとなる(Billboard R&Bチャート10位)

1975
・Funkadelic / Let's Take It To The Stageに「Be My Beach」収録
ジミヘンの物まねをルーツとするBootsyの歌い方がはじめて披露されている
アルバムには"Alumni Funkadelic"=ファンカデリック同窓会としてEddie HazeやBilly Bassらと共にクレジットされている

・Parliament / Chocolate City発売
上記の「Together In Heaven」をリアレンジの上収録

1976
・Parliament / Mothership Connection発売
ジョージ/ブーツィー/バーニーの黄金体制の確立、ヒット曲「Give Up The Funk」収録

・Bootsy's Rubber Bandとしてワーナーよりソロデビュー
(同時期にFunkadelicもワーナーに移籍)

こうしてみてみると、おぼろげながらブーツィーが試行錯誤、いろいろと手探りをしながらP.FUNKに合流していく状況がわかる。

つまりこういうことだと思う。
一度はジョージと知り合い、意気投合をしたものの自分自身のグループで活躍したいという希望を捨てきれないブーツィーは、一度はオハイオに戻りマイナーレーベルからEPをリリースしたりして試行錯誤を繰り返していた。

水面下ではジョージたちとの交流は続いていたものの、ブーツィーにとってはジョージのバンドメンバーになる事が希望ではなかった。しかし1974年、ジョージはパーラメント名義でカサブランカとの契約を獲得するにあたり、状況は変わる。

ジョージはヒットソングを作るべく、ブーツィーの才能を必要としていた。
そしてジョージとブーツィーは”ソングライティングチーム”として協力しあい、
ブーツィーは音楽センスをジョージに貢献し、
ジョージはヒット曲を出すことによってブーツィーにソロ契約のチャンスをもたらした。

お互いの利害が一致し、協力体制をとっていくに至った流れが見えてくる。
クレイジーなアイデアは溢れるほどにあるのだが、未だ音楽性がまとまりきらないジョージ。
プレイヤーとしての才能は溢れるほどにあるのだが、個性を確立できず契約を獲得できないブーツィー。
この二人がこうして出会ってくれたこと、あるいは二人を結び付けてくれたマリア・フランクリンにはただ感謝、というのがすべてのP.FUNKファンの気持ちではないだろうか。

幸いなこと(?)に、YouTubeにこの時期の曲(いずれもEPのみのリリース)が多くアップされているので、聴いてみるとサウンドスタイルや音楽性をどんどん確立していっているのがわかるはずだ。
JBのバンドを抜けた直後はまだ、JBマナーのスタイルが色濃く出ているが、1974年の本格合流直前にリリースした「Together In Heaven」ではベースプレイも、ほぼ完成されている。ボーカルにはゲイリー・マッドボーン・クーパーも加わり、これでホーンセクションが入ってくれば、ラバーバンドのアウトテイクといわれても信じてしまうと思う。
そしてこの「Together In Heaven」はシンプルに「Together」とタイトルを改め、1975年のパーラメントの名アルバム「Chocolate City」に収録されたのだった。
個人的にはこの曲を含め、「Chocolate City」というアルバムは、爆発寸前の凄まじいエネルギーを感じる。





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