2012年3月29日木曜日

桜がそろそろ咲くのかな?

春ってやつほど、やってくるのがじれったいものは無い。
じわりじわりと、少しずつやってくる。
時々暖かくなってみたり、急に寒さが戻ったり。
花粉も飛びまくっているし、ようやく寒さも和らいで来たような感じだけど、
まだ春が来た!とは言えないような気温が続いている。

暖かくなったら、花見もしたいな。
ウチの近所の桜が咲くのはもうそろそろだろうか。
昨年は震災の影響もあって、桜を見る機会をかなり無くしてしまった。
あれから1年。
何もかもが良くなったわけじゃないが、
せめて桜の花を見て、皆が心を少し和らげるぐらいはしてもいいだろう。

小金井公園の桜、
学芸大学正門の桜、
昭和記念公園の桜、
街のどこかの桜。

そうだ、少しすれば東北にだって桜は咲く。
故郷の岐阜ではチラホラと咲き始めているらしい。

自分の名前に入っている花だからってわけじゃないけど、
日本人にとって「花」とは即ち桜なのだ。
咲き誇り、
吹雪のように散るのも桜。

ああ、春をそろそろ感じたいな。

写真は昨年撮った、小金井公園の桜。

2012年3月17日土曜日

ORITOトリビュートライブ2012、ありがとう!そして...

昨夜の吉祥寺スターパインズカフェでのORITOトリビュートライブ、
沢山の皆さんに観てもらう事ができた。
ゴスペラーズやSkoop On Somebodyのファンの方も多かったと思うが、
ORITOさんの遺した曲や僕らの演奏を聴いてもらう事ができて
本当に良かったと思う。

2008年の渋谷Duo、大阪クアトロ。
2010年2月のJirokichi 高円寺。
そして昨年2011年の渋谷Duo、大阪Janus。

今年は会場を吉祥寺スターパインズカフェに移したが、
大阪も勿論開催だし、さらに広島でも開催となる。
FREEFUNKとしては東京だけの参加だけど、
こうやってどんどん広がっていくのは素晴らしい事だ。

終演後の打ち上げで、ゴスペラーズ村上さんに
「来年から主催持ち回りでいくから、(来年の主催)よろしく頼むわ!」
と言われた(笑)。
やりますか!やりましょう!

ところで。

昨夜は全員素晴らしい歌と演奏だったのは言うまでもないことだけど、
個人的ベストは、JAY'ED君の「懺悔の気持ち」。
まさかこの曲をライブで、しかもJAY'ED君の歌で聴けるとは思ってもなかった。

この曲には知られざる歴史がある。
トリビュートアルバムの最後にボーナストラックとして収録されていた、
ORITO幻(?)の未発表曲だが、ORITOさんは元々この曲をJAY'ED君に歌ってもらう事を
念頭においていたのだ。

生前ORITOさんは、僕とどこかに出かけたり、何か一緒に作業をするのに
よくクルマに乗せて連れていってくれた。
あるとき、クルマの中で自分の新しい音源を聴かせてくれたのが
「懺悔の気持ち」だった。

「JAY'ED君のデビューに向けて1曲、
楽曲提供する話があるんだけど、
この曲で行こうと思うんだよね」
と、ちょっと悪戯っぽい笑顔でクルマの中で聴かせてくれたのだ。

車内で響いたその曲は
どブルースそのもの、だった。
「ど」を太字にするか、3個ぐらいつけたくなるくらい。
どどどブルース。。。

「ええ、こんな曲をJAY'ED君に?」
という僕の反応を面白がっていた。
当時2007年といえば、
JAY'ED君はメジャーデビューに向けて羽ばたこうとする直前。
新世代のR&Bシンガーとしての期待を背負ってのデビューだ。
そのタイミングで提供する曲が、どブルースとは。。。

ORITOさんの考える事はすごいなと思った。
しかも、この曲はORITOさん自身の一世一代の名曲
「感謝の歌」と対をなしている。

「感謝の歌」は、関わってくれた人達への感謝の念を起点に、
海、太陽、森へと、あらゆるものへの感謝へと昇華し
究極的に愛する「君」への感謝を歌う曲だ。
日本人古来の自然崇拝にも近い世界観だ。

もし最後の「君」が「神」であったなら、
それはゴスペルの世界観であり、
「神」ではなく「君」への愛の歌となっている時点で
この曲はソウルミュージックの王道そのものだ。

対して「懺悔の気持ち」は
ゴスペルと対をなしながら対極的な世界、
つまりブルースそのものだ。

♪心からの懺悔 この気持ちを
捧げるからどうぞ 行かないで
明日からはきっと 悔い改めるよ
どこにも行かないで そばにいて

この主人公はとことんダメな奴である。
自分本位で、気まぐれで、
「君」をなんども傷つけてしまう。
そしてそのたびに謝り、
「行かないで」と情けない事をいう。

ORITOさんが運転するクルマの中で、
僕はORITOさんにこう言った。
「この主人公って、きっとブルースの世界そのもので、
謝りながら、また同じ過ち繰り替えしちゃうんですよね」

ORITOさんはニヤッと笑いながら
「そうそう、謝りながら心の底では舌を出してるような、
そういうダメな男の歌なんだよね」

R&Bをベースに、J-POPシーンでも大活躍をしている
JAY'ED君が、昨夜集まった多くのファンの前で、
こんな「どブルース」を見事に歌い切って、
自分の世界へとこの曲を引きずり込んでいたのを観て、
本当に感激してしまった。

終演後思わず、彼のところにいって
自分の感激した思いのたけを伝えてしまった。
というわけで、ミーハー精神丸出しで
記念の2ショット(笑)。

2012年3月15日木曜日

「大丈夫 大丈夫」を歌うという事

今週の金曜日は吉祥寺スターパインズカフェで
「ORITOトリビュートライブ 2012」が開催される。
今夜はゲネプロのスタジオに行き、打ち合わせをしがてら
出演の皆さんの熱い歌と演奏を先に堪能させてもらった。

こうして実際に生で聴くと、自分の気持ちも昂ってくるし、
1年前のライブレコーディングの頃の情景も蘇ってくる。
余震が続き、計画停電もある中でのライブだった。

トリビュートアルバムの中に収録されたFREEFUNKとしての参加曲は
「大丈夫 大丈夫」という曲だ。
この曲はORITOさんのアルバムとしては実質ラストとなった
「団子と珈琲」にWild Dandelionでのライブ音源が収められている。

ORITOさんとは生前、この曲のスタジオ録音を進める話をしていた。
僕らはその前に、すでに「Our Beat 鮑の艶話」のデモ音源を一緒に作成していたのだが、
あるきっかけでORITOさんは僕らとこの曲を一緒にスタジオで録音しよう、と思ってくれたのだ。

そのきっかけは、もう5年ぐらい前、
僕が仕事およびその環境に行き詰まっていた頃だった。
自分のおかれている状況に複雑な想い、絶望的な気持ちになりながら
ふとORITOさんの「大丈夫大丈夫」のDEMO音源を家で聴いた瞬間、
とてつもなく心の深い所にまで染みてきたのだ。
その時だか翌日だかに、ORITOさんに直接話したのを憶えている。

ORITOさんは僕の話を聞いて、何度も感謝の意を示してくれたのだが、
それから数日経たある日、この曲をフリーファンクと録音してみたいと言ってくれた。
またその頃には、(結果的にORITOさんと最後の共演となってしまった)三茶での企画ライブへの
ゲスト出演も快諾いただき、そこでもプレゼンテーション的にこの曲を演奏しようと言う事になったのだ。
そのライブにはORITOさんがマネージメントを托した
SESの鈴木康蔵さんも来られる事がわかっていたので、
いわば鈴木さんに対してのプレゼンという位置づけでもあった。

ライブに向けたリハーサルを、
普通の音楽スタジオでORITOさんと一緒にやったのだけど、
それはとても面白いリハだった。

ライブに向けたリハだというのに、ORITOさんの頭の中ではもう、
録音をする事を前提にしたオーダーがどんどん出てくるのだ。
「ギターはワウ使って指でつま弾くようにしてほしい」
「ストリングスでリフを作ってほしい、音色は古くさいストリングスの感じ」
「ベースはもっとこもった感じで」
極めつけはこんなオーダー
「ドラムのキックの音は緩めにして、現代風じゃない音で」

普通、ライブのセットの中で、ある曲だけキックの音作りを変える為に
皮を緩めたりすることは無い。
ギターやベースなら、楽器を取り替えたりエフェクターを切り替えたりは可能だけど。
おそらくORITOさんの中にはもう、この曲への具体的な世界観やアプローチが見えているのだろうと思った。

以降、この曲を演奏するときにはあの日のORITOさんとのリハーサルで言われたオーダーや
感じた世界観を常に意識するようにしてきた。
そして、それを基準にした演奏をその後も続けていった。

先のトリビュートアルバムにおいて「大丈夫 大丈夫」を収録することになった時、
スタジオで僕らはかなり議論をした。
オリジネーターであるORITOさんを失ったいま、この曲を演奏するというのはどういう事なのか。
フリーファンクの世界観、サウンドにもっと引き寄せる事でこの曲が活きるのではないかと。

それまで固定化されつつあったアレンジを全面的に見直し、
オーダーされた事を基準にしつつも、フリーファンク流儀にしてみる事にしたのが、
あのトリビュートアルバムに収められたアレンジというわけ。

ファンクバンドらしく、ホーンはより全面に出してみたし、
ギターはオーダーされた事を意識しながらカーティス的つま弾きからスライの暴動的なエッセンスを加えてみた。
歌も芽芽ちゃんと話をして、あのときのORITOさんからのオーダーはどうだったのか、
新しいアレンジに対してはどうするのが良いのかをすごく話した。

トリビュートライブに参加させてもらう一員として誇りを持っていうなら、
僕らはこの1年、毎回のように「大丈夫大丈夫」を演奏してきた。
トリビュートライブに限らず、自分たちのレパートリーとして
文字通り歌い継いできたという自負がある。
それこそが究極的なトリビュートだという気持ちもある。

素晴らしいシンガーの皆さんや演奏者の皆さんと一緒に、
堂々と自分たちの曲として「大丈夫大丈夫」を演奏し、届けたい。

トリビュートアルバムを収録した2011年4月の時点で、
本当にこの曲の持つ意味は大きかった。
「頑張らなくて良い」
「庶民の絆」
「平凡な暮らしこそ理想」
今ではあちらこちらで目にするような言葉だらけだが、
この曲は震災がおこるずっとずっと前に歌われたものなのだ。

あれから1年。
僕らも演奏をし続け、よりフリーファンクらしくなってきたこの曲を是非聴いてほしい。

我々はあいにく東京だけの出演だけど、
16日金曜日、吉祥寺で待っています!

2012年3月10日土曜日

あれから1年

あの震災から早くも1年になろうとしている。
1年後の3.11を誰とどう過ごすのか、を考えている人は多いんじゃないかな。

防備録として詳細をこの航海日誌に記しているけど、
1年前の事は鮮明に憶えている。
たぶん一生忘れる事のない日だろう。

多忙な日々が続くが、
家族と一日を過ごし、
14:46にはささやかかもしれないが、
亡くなった人達への哀悼を記したい。

状況は対して良くなっていない。
被災地にはまだまだ深刻な状況だし、
福島の原発の事はまるで収束しつつあるようにされているが、
全然終わっていない。

自分はどうあるべきか、
これほど考えた一年もなかったな。

辛い日々もあるが、
ライフ・イズ・ブルーズ。
良い事もあれば悪い事もあるのさ、
だから腐らず生きていこうと思うばかり。

2012年3月4日日曜日

久々の・・・

今日はバンドリハ。
いつもの西荻窪で午後から4時間ほどやっていた。

3/16のORITOトリビュートライブに向けたリハだった。
そういうわけで久々に芽芽ちゃん、シュウタロウ君も参加。
二人とも昨年の15周年ライブ以来だから、
ほぼ半年ぶり近い。

久々に演奏をする曲、
そして久々の仲間。

今週はずっと忙しかったので、
少し疲れ気味だったけど、
ちょっと元気をもらえたかな。

そういえば、今回のトリビュートライブ、
東京、大阪はチケットもかなり売れ行き好調で、
各種プレイガイドでの販売が終了していると聞く。

もし3/16東京のチケットをお求めの方が居たら、
以下の方法を試してみて下さい。

1. 会場の吉祥寺Star Pines Cafeのウェブサイトにアクセス

2. チケット予約というコーナーがあるので、そこから3/16の
「ご予約はこちら」リンク
にアクセス

3.各種必要事項を入力

すると、前売りとしてチケットを取り置きしてくれるはずです。

こちらはあくまでも会場側のシステムなので、
予約に関する質問やトラブルは我々にはわかりませんが、
試してみては?

さあ、3/16まであと2週間足らず。
その頃には暖かくなっているかな?

FREEFUNKは東京のみの参加。
という事で3/16に吉祥寺でお会いしましょう。

2012年3月2日金曜日

さらば!ラリー小野田

長年の友人、バンド仲間であり悪友(?)だったラリー小野田さんが亡くなったと聞いた。
数年前から体調を崩して、というかハッキリ言ってしまうと、
もう長くはないと聞いていたのだが、
やはり仲間の一人が居なくなった事を思うと泣けてくる。

ちょっと前に立川談志が亡くなった時に、
涙ながらにボロクソ言いながら追悼をしている同志の人達が居たが、
あの気持ちがなんだかちょこっと解る気がする。
・・・というバンド仲間は皆そんな感じじゃないかな(笑)。

誤解なきよう言うと、ラリー小野田氏は素晴らしいベースプレイヤーだったし、
我々の多くの仲間をサポートする、よき先輩であった。
その点においてはもっと評価されるべき人だ。

しかし俺は、ラリー小野田氏と最初知り合った頃(ほぼ)15年前!には
「ラリーさん」と読んでたのに、

次第に
「ラリーちゃん」になり、

いつしか
「チャンラリ」(業界用語風)になり、

最後にあった時は
「ラリー!」

って呼んでた気がする。
いや、それすらも記憶が定かでない。
ともあれ次第にそういう扱いになっていたぞ。

間違いない事は、いつもつるんでいた仲間の周りには
必ずと言っていいほど彼が居て、
良い話をとっきどき、あまり良くない話は割とよく耳にしながらも、
一緒に演奏をしてきた事だ。

そしてその演奏について言うなら、
Twitterでも書いたけど、
彼が喋るとき以上にベースプレイは饒舌で、
良く言えばファンキー、悪く言えばトゥーマッチフォーミーだった(笑)。
も一回良く言い直すなら「Too Funk In Here」だな。

そうそう、初めて会った後、
当時彼がやっていたBAD★GUNという相当イカれたファンクバンドの音源を下北沢で渡されたっけ。
よろしく!みたいな事言われて渡されたものな。
あれって多分バンドに入ってくれって事だったと思うのだけど、すっかり無視してしまった。

ラリーちゃんがサポートしていた、10年ぐらい前のEbony-Bとは本当によく一緒にライブをやった。
現在のエぼny−Bとは違い大人数のバンドだった。
現在でもヨースケ君やイド兄とつながりがあるのはラリーさんのお陰に他ならない。

3、4年前だったか、だいぶ体調を崩して隠遁していた時期にひょっこりライブに来てくれた。
たしかEbony-B久々の復活ライブで、気にして観に来てくれたのかな?
小さな西荻窪のバーの後ろの方に座って、
相変わらず大きな声で
「参っちゃったよ〜!オレこんなに大量のクスリ飲んでるんだよ!」
という謎の自己PRをして持参したクスリ自慢をしていた。
ちょっとウルサかった。

でも、うちの娘達にジュースをおごってくれたりして優しかった。
でもそのジュース飲みすぎて下のムスメはライブハウスのトイレで吐いちゃった(笑)。

直近では、ラリーちゃんと繋がりのある凛凛が大阪でチャリティライブをやると聞いて、
参加したかったのだけど、
都合会わくて実現出来なかった。。。

なんだか良い事とヒドい事を混ぜっこぜにして書いちゃったけど、
そういうアンビバレンツな思いがラリーちゃんにはいっぱいあって、
結論としては
「憎めないイイ奴。また会いたいよ!」
って事なんだ。
本当に、本当に。

推測だけど、
皆が「ラリー小野田が死んだ!」
って聞いたとき、
「おいラリー、エイプリルフールには1ヶ月早いぞ!」
と思ったはずだ。
それともそこまで壮大なフリで、
またビッグマウスかましてくれるのか?
どうなのラリーさん、と。

でも
俺は知っている。
ラリーちゃんは嘘付くのがヘタなことを。
ああ見えてとてもセンシティブな人だということを。
大きな体とは裏腹に、小さなハートの持ち主だったことを。

ラリーちゃん、お疲れさま。
長い間仲間で居てくれてありがとう。
天国でも饒舌なるベースプレイで
偉人たちとの熱いセッションを繰り広げといて下さい。


・・・盛り上がったらあとは僕らがしっかりやりますんで。

R.I.P. Larry Onoda.... We miss you.