2019年4月29日月曜日

The moment of closing Heisei Era 〜平成という時代の終わりに〜

もうまもなく平成が終わろうとしている。
5月1日になれば時代は令和となり、また少し動いていく。

この30年のことを振り返ってみようと考えていたけど、
結局行き着いたのは明日の夜ライブを見納めにするジョージ・クリントン&パーラメント・ファンカデリックのことだ。
考えてみれば30年前、平成の始まりの頃に夢中で聴いていたのは少し前にも記したキース・リチャーズのソロアルバムだったりで、
そこではじめてブーツィー・コリンズやメイシオ・パーカーの名前を知り、
どっぷりとソウルやファンクにのめり込んでいったのだった。

ジョージの最初の来日ライブの時はまだ18歳にもなってなくて見に行けなかったけど、その後は必ず足を運んだ。
平成2年、18才になったばかりの頃上京し、初めて見るような大きなCD屋(WAVEとかタワレコとか、できたばかりのHMVとか)で、
JBやスライとあわせてP-FunkのCDを買い漁るのが楽しみだった。
CDでは飽き足らず、中古の高いレコードも買っていた。
エディ・ヘイゼルのソロアルバムは劇的に安いお店で¥7,800とかだった。

伝説のアースツアー川崎クラブチッタにも行き、こんなファンクを自分も演奏したい!と思った。
のちにFREEFUNKを組んで、バンドメンバーの仲間たちと横浜のベイホールまで見に行って終電を逃し、
当時近くに住んでた我が家で夜通しP-Funkのことを語ったのも覚えている(かなり酔っ払ってたけど)。

平成14年(2002年)のフジロックには生まれたばかりの娘を連れて見に行った。
照明やPAを消されてもFUNKし続ける姿に衝撃をうけたものだ。

平成15年(2005年)に仕事でアメリカに行った時もビルボードのカンファレンス会場にジョージとチャカ・カーンがいて
初めて近くで会って話すことができたのは本当に嬉しかった。

平成18年(2008年)にはブーツィーがJBのトリビュートでフジロックにやってきて、再び家族(娘は二人になっていた)を連れていった。
この時はTommyさんのおかげでステージ裏で見ることができ、間近でブーツィーやキャットフィッシュら偉大なファンクレジェンドを見ることができて
本当に感激だった。

この後も、東京JAZZにジョージがきてくれたり、
ブーツィーが川崎クラブチッタでライブをやったりと、断続的に来日が続き必ず足を運んだ。
ここ数年はしばらくビルボードライブへの出演が多くなっていたが、
それも含めて、おそらく行かなかったライブツアーは1つもなかったはずだ。
これだけ夢中にさせてくれたアーティスト、音楽はP-Funkだけだったかもしれない。

そのジョージ・クリントンが明日は最後の日本のライブステージだという。
本人のとっては全く関係のない話だろうけど、平成という時代を通して追っかけてきたファンとしては、
なんとも言えない感慨がある。
天皇陛下のお言葉じゃないが、まさに時代を駆け抜けてきたファンクの皇帝のこの地におけるラストステージ。
しっかりと見届けたいし、いっつも最近いうことだけどPass It On、引き継いでいきたいと思う。

平成という時代を個人として振り返ったとき、
そこに間違いなくあったのはジョージ・クリントン率いるP-Funkの音楽だった!



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