2020年1月30日木曜日

1990年の冬、それから(JAGATARA2020 ライブを観て)

1990年。ちょうど30年前の今頃、自分は大学受験を控えた高校3年生だった。
中学校まではそこそこ勉強もできる部類だったが、高校に入ると同時にどんどん落ちこぼれ、
そのかわりに、というわけじゃないがロックやリズム&ブルースを聴き漁り、ギターを弾くことに夢中になっていた。
学校も住んでいる町も退屈で仕方なく、早くこんなところから出ていかないと自分は腐ってしまうと思っていた。

もっとも、出て行くために親にお金を出してもらい、塾に通い大学の入学までさせてもらうのだから、
自分自身が親の立場になった今となっては、実に甘ったれた考えでしかないと我ながら呆れてしまうが、
あの頃は本当に痛切に息苦しさ感じていた。

唯一の救いは音楽だった。
夢中になっていたローリング・ストーンズやドアーズ、ジミヘン、ツェッペリンからリズム&ブルースにも興味がわき、
また、次第に日本のロックにも興味が湧き、頭脳警察やルースターズ、RCサクセションなんかを聴くようになっていった。
日本語で歌ったり叫ばれるぶん、英語の曲よりダイレクトに心に刺さってくるので、
いつか自分もこんな風に曲を書いたりバンドをやりたいと思うようになっていた。

そんな中、雑誌で見かけて知ったのが、山口冨士夫のやっていたティアドロップスにJAGATARA、フールズといった面々だった。
YouTubeもインターネットもない時代、情報源は限られて音楽雑誌とレコード屋の店頭ぐらいだったので、
本当に毎日のようにレコード屋に通い、音楽雑誌を立ち読みして名前を覚えたりしていた。
そして直感的に、これはなんかヤバそうな雰囲気の人たちだ、と感じていた。

かろうじてティアドロップスは名古屋のライブハウスで見ることができたが、
フールズは彼ら特有の諸事情で活動停滞中(もちろん当時は理由を知る由も無し)だったし、JAGATARAは江戸アケミがなんかおっかなそうな人に見えて、
ライブに行くのは大人になってから、つまり受験に無事合格して東京に行ったら、と思っていた。
今の若い人たちには伝わらないかもしれないが、まだあの頃ライブハウスは独特の雰囲気があって、
田舎の高校生が行くには少しばかり気構える必要があった時代だった。

あと少しで東京に行く1月の終わり。
大学受験を目前に控えていた時に江戸アケミが亡くなったとニュースで知った。
受験のため高校に行かず勉強をずっと家でしていたので、勉強そっちのけでテレビを呆然と観ていた。
ワイドショーではかなりアケミの死が取り上げられていた。
音楽雑誌でしか見たことがなかったJAGATARAがテレビでこんな風に取り上げられるとは、という衝撃を受けた。
東京に出たらJAGATARAのライブを見る、という野望はそこで挫かれてしまった。

結局、春に東京に上京して最初に観たライブは春に日比谷の野音で開催されたアケミ追悼コンサートだった。
シーナ&ロケッツやティアドロップス、フールズはもちろん、MUTE BEATの小玉さんや当時VIBRASTONEだった近田春夫さんはじめ
錚々たるシンガーやバンドが出演をしていたがアケミの不在は大きく、
あれほどの勢いを持っていたJAGATARAもこうして終わってしまうんだな、と感じた。

JAGATARAを最初に観たのがアケミの追悼ライブになってしまったが、
その後フールズやティアドロップスを毎月、毎週のようにライブハウスに観に行ったし、
JAGATARAのベース、ナベちゃんがやっていたイモーンズというバンドも好きでよく下北沢や新宿に観に行っていた。
東京で大好きな音楽、はじめて出会う刺激的な音楽にまみれ夢中になっていった。

JAGATARAはその後も不定期にライブをやっていたが、
タイミング悪く観に行けなかったというのもあるし、追悼ライブの時のあの気持ち、喪失感がずっと残っていたので、
今にして思えば、予定を動かしてまでアケミなきJAGATARAを観に行くということをしなかったんだと思う。
「JAGATARAなきJAGATARA」とか、そんな名前で出演していたが、それはJAGATARAではない、と心のどこかで思っていたからだ。

あの冬から30年。
先日、渋谷クアトロで観たJAGATARA2020のライブは本当に素晴らしかった。
強力なゲストたちがバンドと一体化していたし、なによりバンドとしてのJAGATARAが素晴らしかった。

「あれ、JAGATARAってこんなに多幸感いっぱいのバンドだったっけ?」
とライブを観ながら思わず呟いてしまった。
それぐらい、幸せであたたかい雰囲気に満ちたライブだったと思う。
アケミの遺していった言葉や歌が継承され、不在ではなく「みんなのもの」になったのだと感じた。

バンドもゲストもお客さん(自分含め)も、みんな程よく年を重ね、一緒に踊ったり歌うことができるライブ。
OTOさんは「これからはみんながジャガタラーだよ」ということを言っていた。
”お前はお前の踊りを踊れ”、の精神をみんなが受け継いで広めていって欲しい、ということと自分は捉えた。

JAGATARAはまたここから新しく扉が開いていくのかもしれない。
そうなってくれたら嬉しいな、と感じる最高の夜だった。














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