2012年3月2日金曜日

さらば!ラリー小野田

長年の友人、バンド仲間であり悪友(?)だったラリー小野田さんが亡くなったと聞いた。
数年前から体調を崩して、というかハッキリ言ってしまうと、
もう長くはないと聞いていたのだが、
やはり仲間の一人が居なくなった事を思うと泣けてくる。

ちょっと前に立川談志が亡くなった時に、
涙ながらにボロクソ言いながら追悼をしている同志の人達が居たが、
あの気持ちがなんだかちょこっと解る気がする。
・・・というバンド仲間は皆そんな感じじゃないかな(笑)。

誤解なきよう言うと、ラリー小野田氏は素晴らしいベースプレイヤーだったし、
我々の多くの仲間をサポートする、よき先輩であった。
その点においてはもっと評価されるべき人だ。

しかし俺は、ラリー小野田氏と最初知り合った頃(ほぼ)15年前!には
「ラリーさん」と読んでたのに、

次第に
「ラリーちゃん」になり、

いつしか
「チャンラリ」(業界用語風)になり、

最後にあった時は
「ラリー!」

って呼んでた気がする。
いや、それすらも記憶が定かでない。
ともあれ次第にそういう扱いになっていたぞ。

間違いない事は、いつもつるんでいた仲間の周りには
必ずと言っていいほど彼が居て、
良い話をとっきどき、あまり良くない話は割とよく耳にしながらも、
一緒に演奏をしてきた事だ。

そしてその演奏について言うなら、
Twitterでも書いたけど、
彼が喋るとき以上にベースプレイは饒舌で、
良く言えばファンキー、悪く言えばトゥーマッチフォーミーだった(笑)。
も一回良く言い直すなら「Too Funk In Here」だな。

そうそう、初めて会った後、
当時彼がやっていたBAD★GUNという相当イカれたファンクバンドの音源を下北沢で渡されたっけ。
よろしく!みたいな事言われて渡されたものな。
あれって多分バンドに入ってくれって事だったと思うのだけど、すっかり無視してしまった。

ラリーちゃんがサポートしていた、10年ぐらい前のEbony-Bとは本当によく一緒にライブをやった。
現在のエぼny−Bとは違い大人数のバンドだった。
現在でもヨースケ君やイド兄とつながりがあるのはラリーさんのお陰に他ならない。

3、4年前だったか、だいぶ体調を崩して隠遁していた時期にひょっこりライブに来てくれた。
たしかEbony-B久々の復活ライブで、気にして観に来てくれたのかな?
小さな西荻窪のバーの後ろの方に座って、
相変わらず大きな声で
「参っちゃったよ〜!オレこんなに大量のクスリ飲んでるんだよ!」
という謎の自己PRをして持参したクスリ自慢をしていた。
ちょっとウルサかった。

でも、うちの娘達にジュースをおごってくれたりして優しかった。
でもそのジュース飲みすぎて下のムスメはライブハウスのトイレで吐いちゃった(笑)。

直近では、ラリーちゃんと繋がりのある凛凛が大阪でチャリティライブをやると聞いて、
参加したかったのだけど、
都合会わくて実現出来なかった。。。

なんだか良い事とヒドい事を混ぜっこぜにして書いちゃったけど、
そういうアンビバレンツな思いがラリーちゃんにはいっぱいあって、
結論としては
「憎めないイイ奴。また会いたいよ!」
って事なんだ。
本当に、本当に。

推測だけど、
皆が「ラリー小野田が死んだ!」
って聞いたとき、
「おいラリー、エイプリルフールには1ヶ月早いぞ!」
と思ったはずだ。
それともそこまで壮大なフリで、
またビッグマウスかましてくれるのか?
どうなのラリーさん、と。

でも
俺は知っている。
ラリーちゃんは嘘付くのがヘタなことを。
ああ見えてとてもセンシティブな人だということを。
大きな体とは裏腹に、小さなハートの持ち主だったことを。

ラリーちゃん、お疲れさま。
長い間仲間で居てくれてありがとう。
天国でも饒舌なるベースプレイで
偉人たちとの熱いセッションを繰り広げといて下さい。


・・・盛り上がったらあとは僕らがしっかりやりますんで。

R.I.P. Larry Onoda.... We miss you.

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