あの日のことは忘れないように、忘備録を3月31日の日誌に書いていた。
3月28日には新宿でライブをやっていて、そのためのリハを3月11日にやっている。
ライブに向けては、社会はまたいつもの”自粛ムード”に包まれつつあったので、
16日の航海日誌 「Ahh...The Name Is FREEFUNK, Baby!」にはこう記した。
たとえ不謹慎と思われようと、
不要だと言われようと、
自分が言いたい事をいいたい。
クダラナイ事を皆がわいわい言いあって、
グダグダとやっていた
3月11日のお昼までのように。
そこに戻ろう!とは言わない。
それは無理な事だ。
しかし自分たちの手で取り戻さなきゃ。
コロナウィルスの禍に振り回されている現在2020年も、同じような状況だ。
もちろん震災とは違う性質のものだけど、人間の行動はまるで変わっていないように思う。
この日誌は最後にこう結んでいる。
遠慮がちにファンクをするなんて、
オレたちのバンドコンセプト=「FREE」「FUNK」じゃないんだよ!
今もその気持ちは変わらない。
エンタテインメントの世界に関しては、震災の時より今回のコロナウィルスのほうが更に深刻な状況だ。
世界規模であること、終息する方法も逃げ場もないことなど色々な理由があるが、
みんながエンタテインメント、音楽や映画に限らずあらゆる種類のエンタテインメントを欲しているのは間違いないし、
変わりようがない。
この状況の中で少しでもなにか出来ることを探っていくしかないと思う。
あの震災が、社会を大きく変えたように、
今回のコロナウィルスもまた世界を大きく変えようとしている。
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