2011年3月31日木曜日

忘備録:3.11

この日記は、3.11の忘備録として書いておく事にした。
多分、一生忘れる事がない日になるだろうから、なるべく克明に記しておきたい。

* * * * * * * * * * 
3/11はたまたま休みをとっていた。
2月がとても忙しかったので、3連休をとり、満喫をしようと考えていたからだ。
2月は元々予定していた休みも返上して働くほど、忙しかった。

3.11その日は朝から奥さんと二人で映画を観に行く事にしていた。
子供たちはむろん、朝から学校だった。

久しぶりに二人でゆっくりと動けるので、
ここ最近アカデミー賞なんかでも話題だった
「ソーシャルネットワーク」を新宿辺りまで出て観にいくか、
シュールレアリスム展をやっている六本木の国立新美術館にするか当日の朝まで迷ったのだけど、結局家から近い立川の映画館で、
イーストウッドの「ヒアアフター」という映画を観る事にした。
朝、少し早めに家を出て電車で立川まで向かった。

とても良い映画だった。
イーストウッドは信頼出来る監督なので、
映画館で観たいと思っていたが、間違いなかった。
映画のあらすじはこんな感じだ。

---ジャーナリストのマリーは、東南アジアで津波に飲み込まれ、
呼吸が停止した時に不思議な光景を見る。
サンフランシスコ―かつて霊能力者として働いていたジョージ、今では工場に勤めている。
ロンドンで暮らす少年マーカスは、突然の交通事故で双児の兄を失う。
兄を思うマーカスは、霊能力者を捜すうち、ジョージのWebサイトに行き着く。
一方、マリーは臨死体験を扱った本を書き上げた。
やがて異なる3人の人生が交錯する日が来る・・・・。


映画を観た後、12:00過ぎだったろうか。
ランチを食べようと言う事になり、立川ではあまり気の効いた店が無さそうだから、
国立あたりでフレンチでも食べようということになった。

二人で国立のフランス料理屋シエル・ド・リヨンに移動し、
美味しいチキンソテーやカナッペのランチを食べた。
初めて行く店だったが、iPhoneのグルメアプリなんかで調べてみても
評価も高かったし、なにより店の佇まいがとても良かったので、
入ってみたのだ。

ランチの後、少し国立の雑貨屋をブラブラした後、さあどうしようという事になった。
吉祥寺まで足をのばすか、とも話したが、平日だし、少し早めに国分寺に戻りゆっくりお茶でもしようという事になり、電車で国分寺に戻ったのが14:20過ぎぐらいだと思う。

国分寺はカフェが多いのでどこに行くかという事になり、
馴染みの北口(Cafe North Exit)の店じゃなくて、たまには違う店に行ってみようという話になり、南口のカフェ(Burnys Cafe)に行く事にした。

カフェオレとかを頼み、「いい映画だったね」なんて話しながら暫く待っていた時、
あの地震がきた。
最初はカタカタと揺れていて、二人で
「ヤダね、地震だ・・・」
なんて話していたのだが、揺れは収まるどころかますます強くなっていく。
店内の他のお客さん(女性が多かった)がきゃ!っと叫び声をあげる。
店のスタッフの人に店内の誰か(おそらく自分も)が、石油ストーブを切れ!としきりに言って、
スタッフが慌ててストーブを消していた。
それでも揺れは収まらなかったので、遂に僕と奥さんは店を飛び出した。
実は、その時には「これは大震災なのか」と覚悟をした。
ビルというビルがきしみ、電信柱がぽきっと折れたり、看板が落ちてくるんじゃないかと、
上を見ながら駅の方に二人で駆けていった。

既に街には人が溢れかえっていた。
自分たちと同じように揺れに驚き、慌てて飛び出たのだと思う。
車やタクシーも皆停車していた。
駅ビルのマルイでは、今まで聞いた事のないような警報が鳴り響いていた。
緊急用の警報だと思う。

僕と奥さんはカフェを出た瞬間、学校もしくは学校そばの学童保育所にいる娘達の事が頭によぎり、
すぐにそのまま小走りで学校に向かった。
僕自身は直感的に、この揺れで倒壊をするような事態はなさそうだと感じたので、
そんなに酷い状況でないだろうとは想像した。
しかし、きっと皆避難したり、泣いている子もいるにちがいない。
先生達だって、訓練はしているかもしれないが実際に大地震に遭うのとは訳が違うだろう。

幸い、娘達は既に学童保育の場所に居て、天気もよかったから校庭で遊んでいた。
運動場の真ん中に学童の指導員の先生が集めてくれており、
心配はいらなさそうで何よりだった。
国分寺から歩いてちょうど20分弱というところで、
学童保育所に着いたところで、また大きな余震があった。
学童の運動場にあるフェンスや木がおおきく揺れているのがわかった。

先生方は子供たちを校庭の中央に集め、座らせていた。
大人達(我々や他の親御さんなど)もさすがに不安で一杯になっていた。

学童には既に他の親も駆けつけており、その日はそのまま下校という事になった。
呑気なことに娘達はまだ遊びたがっていたが、さすがに学童側も他の親もそういう状況ではないし、
なにより僕らも今一緒にいなくては、という気持ちで一杯だった。
そんなわけで歩いて自宅に戻ったのが15:30ぐらいだろうか。

家に着く前には
「液晶テレビとか倒れてるかもな」
「本棚とか酷いことになってるかな」
なんて覚悟したが、幸い倒れていたのは、
写真立てと、CDラックの上に置いていたミニチュアのギタープラモデル、
あとは本が数冊・・・。
とりあえずホッとした。

早速テレビをつけて、そこからは釘付けになっていた。
テレビに映し出されたいくつかの光景は一生忘れられないものだった。
本当に、午前中に観たばかりの映画のように、
あらゆるものが押し流されていく。
しかしそれはSFXでもアニメでもない。
たぶんあの家の中のいくつかにはまだ人が居て・・・と思うと、
何も言葉にできなくなってしまった。

その日は金曜という事もあったが、そんな事以上に、今おこっている事態を少しでも知りたくて、
ずっとテレビをつけっぱなしにしていた。
いつもは子供は子供部屋で、僕らは自分たちのベッドで寝るのだが、
さすがにこの日は4人で寄り添うように寝た。
しかし余震は続き、NHKのニュースの途中でも割り込むように、
【緊急地震速報】が流れてくる。
僕は夜中の3時ぐらいまで結局眠る事が出来なかった。
次の日の朝も7時ぐらいには目が醒めてしまった。

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