2025年3月21日金曜日

30年前の3月20日

30年前の3月20日、自分は会社員2年目で、
当時の勤め先のオフィスが麻布十番にあったので、毎日日比谷線で
通勤をしていた。
そう、大江戸線も南北線もまだ開通していなかった時代。
六本木から15分近く歩いて通う、なかなか大変な通勤だった。

1995年の3月20日も、いつものようにJRで恵比寿駅まで行き、
日比谷線に乗り換えるところだった。
9時30分ぐらいに出社だったから、8時40分とかそれぐらいだったと思う。

いつもの日比谷線への乗り換え口はシャッターで閉ざされ、
駅員の人が「火災が発生したので電車は止まっている」というようなことを
アナウンスしていた。
困ったものだと思ったが、麻布十番はそう遠くないのでタクシーに乗り、
会社まで向かったのを覚えている。

会社についたら他の社員もみな、地下鉄に乗れなかったとかで、
遅刻も多く騒然としていた。
オフィスではいつもJ-WAVEのラジオがかかっていたから、
仕事をしているとラジオが臨時ニュースとなり、
地下鉄では毒ガスが撒かれたということを伝えていた。
テレビもあったのでみんなで見て、八丁堀駅や霞ヶ関駅が、
救急隊員が多く駆けつけ、出勤途中と思われる人たちが倒れ込んでいる姿が
映し出され、これは相当な異常事態だと悟ったのだった。

その後数日は、この事件の操作でオウム真理教の本部に捜査が入ることを報道されていた。
連日のように報道され、教団幹部の人間もテレビに出演したりと、
異常な状況だった。

社会も、警察や国家も、こういったカルト教団の危険な動きを
察知したり対策することができなかったのは、苦い教訓として記録し、
遺していくべきだ。

個人的にはそれ以上に、マスメディアはみな大きな反省をするべきだと思う。
マスメディアだけじゃない、文化人や芸能人、知識人と呼ばれる人にも、 当時オウムや麻原を面白がり、持ち上げて重宝した連中がたくさんいる。

宗教学者の島田裕巳は、オウムが宗教の本来の姿だとやたら持ち上げていた。
中沢新一も、吉本隆明も。
吉本隆明なんかは、渋谷陽一が出版していた雑誌「CUT」なんかで、
オウムの教えをベタ褒めしていて、サリン事件のもっと前、当時大学生だった自分が読んでも、
なんだか得体の知れない君悪さを感じたのを鮮明に記憶している。

テレビでは田原総一郎の「朝まで生テレビ」にも麻原は出ていたし、
とんねるずの深夜番組や、色々にも出演をしていた。

メディアは30年の節目でニュースや特集をやっているようだが、
自分たちの反省や総括をちゃんとやったらどうか。
TBSも坂本弁護士ビデオ問題とか、節目で検証や総括を出すべきだと思う。

30年経った現在、強く思うのはカルトやスピリチュアルへの警戒感は、
自分にとっては全く消えないことだということ。
そして、世の中見渡すとオウムにも似た危ういことがいっぱい起きているということ。
それは宗教というわかりやすい形ではなく、政治や思想のような形で、
同じことを繰り返しているように思う。
そういうものを面白がっているうちに、少しずつ悪いことは起きるものだ。


自分の人生の中でも絶対に忘れることのないであろう、
強烈な体験とその記憶を、少しでも文章に残しておきたいので、
書いてみた。

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