TwitterやUstreamは勿論、淘汰の対象ともいえるマスメディアでもいま、様々なメディア社会論、情報革命のこれからが語られている。
僕自身も非常に興味を持ち、色々本を読んだりUstreamを観たりしている。
メディアや、社会の情報伝達のあり方については色々な議論、考え方があり、自分自身おぼろげな考えはあるものの、まだはっきり言ってわからない。
自分が関わる音楽というものも、こういった急激な変革や淘汰の対象外というわけではなく、それまでの10年と比べると、格段に変化のスピードが上がったのがこの10年ぐらい、という印象だ。
さらにこの10年の中でも、よく言う「ドッグイヤー」ではないがこの数年の劇的変化は、凄まじいと思う。
そういうものに抵抗するよりはどんどん新しいものを受け入れていきたいし、状況だけでも理解していたい。
ただ一つ、どんなにパッケージやプラットフォーム、メディアが変わろうとも不変の真実がある。
それは、「人は感動を求めている」という事だ。
便利な技術革新はイノベーションを起こし、関わる物事を激変させるのはこれからも加速的に続くだろうけど、
そこで受け取る情報、僕らの場合でいけば音楽、音楽にこめられたメッセージに人は「感動」し、「共感」を他人に伝えたいというのが真実だ。
ちっぽけな我々では、社会の仕組みを変えるプラットフォームを作る事は出来ないかもしれない。
ソーシャルメディアの勢いが加速したとしても、一人一人のもつメディアパワーは小さいままかもしれない。
でも、人の感性を動かす何かを送り出すことは出来るんじゃないだろうか。
あるいは誰かの素晴らしい表現、製品、サービスというものに感動したい。
それが不変の真実である限り、自分たちがすべき事、なすべき事はいつだって明白でぶれる事が無い。
音楽でいえば、
収められているメディアがレコードからCDになっても、CDがデジタル配信データになっても、デジタルデータがクラウドのサーバーに置かれても、
そこに込めた感動に共感がある限り、永遠不滅だ。
そしてもう一つ、どんなにデジタル社会、IT革命が進もうと、人が人と出会うその感動は素晴らしい。
わかりやすく言えば、僕が憧れだったジョージ・クリントンやブーツィー・コリンズのライブをこの目で観れたり、本人と直接会えたその感動。これに変る体験は残念ながらiPhoneでもコンピューターでも得る事は出来ない。
「そういう感動はわからないな」という人も、特に若い人に多いかもしれない。
だとしたらそんな感動を教えてあげられる、そんな感動を作り出してあげたいと思う。
ちっぽけかもしれないけれど。
不特定多数に頒布できる感動。直に触れる事で得られる感動。言葉の壁だって超えられる感動。
音楽にはまだまだ、多様な感動を作り出す可能性があるのだ。
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