2025年8月22日金曜日

アリシア・キーズ Live

19日の夜は、国際フォーラムでアリシア・キーズのライブ。
SUMMER SONICで来日していたが、これとは別に単独公演も開催をしてくれた。
サマソニは行きたいけど、なかなか都合つかずだったので、
ありがたいことだ。

ライブは75分ほどのややコンパクトな尺だったが、
おおよその代表曲は全部詰め込んでくれたのでは、といぐらい
怒涛の流れで、それも素晴らしかった。

自分にとっては最高に嬉しかったのは、
プリンスの名曲「How Come U Don't Call Me Anymore?」をフルサイズで演奏してくれたこと。
もちろんアリシアのデビューアルバムの中の代表曲でもあるけれど、
こうしてライブで聴けることの幸せを強く感じた演奏だった。

ピアノを弾き、時にハンドマイクでステージ前方に出て
客席に歌いかけるアリシアは、活動歴四半世紀のヴェテランだが、
フレッシュさも失わない輝きのあるシンガーだと感じた。

アンコール最後の「If I Ain't Got You」も素晴らしかった。
2000年代R&Bの大名曲で、歌い継がれていくようなマスターピースだと思う。
なんでも日本には10日間近く滞在して、金沢や三重にも足を運んだそう。
漫喫をしてくれて、それがインスピレーションになったり、
また日本にきてライブをしてくれるきっかけになったら嬉しいことだ。

2025年8月17日日曜日

敗戦から80年の夏に思うこと

8月15日を少し過ぎてしまったけれど、
敗戦から80年という節目は、とても大きなことなので書き記しておく。

日本にとって8月は鎮魂の季節だ。
広島、長崎の原爆投下。8月15日の敗戦。

5年前の、敗戦75年のタイミングでも書いたことだが、
自分が今の年齢になってみて、戦争はついこないだの出来事だったのだと思うようになった。


自分が生まれた1972年は、敗戦からたったの27年後のこと。
今の自分の時間感覚で言えば、そんなに古いことではない。

あの有名な横井庄一さんがグアムから帰国した年であり、
沖縄がアメリカの占領下から日本に復帰した、そんな時代だ。
戦争がまだ終わったわけではなかったことが、よくわかる。

しかし、80年経ち当時のことを知る人たちも少なくなってきている。
入れ替わるように、人々を煽り、排外主義や核兵器保有を主張する連中も出てきた。
大したことない、などとたかを括っていては、
あっという間に世の中の空気は変わってしまうことだろう。

戦争や核兵器など最悪だ。
アメリカの大統領は、ノーベル平和賞がほしいからか、
ウクライナとロシアの停戦に乗り出しているが、
当事者のウクライナ抜きで領土交換だの和平調定だのと、
かなりいい加減なことをやっている。
その一方で世界最大の核兵器保有国で、原爆を唯一実戦に投入した国だ。
日本は自分たちが戦争で起こしてしまったことを直視し、
語り続けなくてはいけないし、
原爆や無差別の爆撃で多くの市民が死んだと言うことを、
ずっと言い続けていくべきだと思う。

5年前も日記に記した、玉音放送。
実際、国民の多くはその内容がすぐに理解できなかったという。
放送の後に、解説・補足の説明があり、
それで初めて敗戦を受け入れることを知ったという。

戦争のことは、これからもずっと語り続け、こうして記していかなくてはいけない。
激しく変わる世界情勢の中で、これから先も日本は迷走することなく、
平和を大事にしていく国であってほしい。

2025年8月8日金曜日

R.I.P. Eddie Palmieri

ラテン・ジャズ〜Salsaの礎を作り上げた巨人、Eddie Palmieriが亡くなった。
御年88歳。
ジャズ、アメリカにおけるラテンミュージックでの功績は計り知れない。

ラテンミュージックには決して深く造詣があるわけじゃない自分にも、 彼の音楽はバッチリ届いたし、「Harlem River Drive」を経由して
ファンクやレア・グルーブの視点でも見逃せない巨人だった。

個人的に好きなアルバムは1968年の「Champagne」。
ジャケットのクールさも相まって、夏のこの時期にはとりわけお気に入りで
よく聴く一枚だ。



この中の収録曲「Twist Africano」なんて、最高にダンサブルな曲だ。




アメリカにおける多様性、雑多に混ざり合っていく文化の強さの象徴のような人だった。
現在のアメリカを、エディはどう思っていただろうか。

素晴らしい音楽を本当にたくさん、ありがとう。

Rest in peace, Eddie Palmieri.
Thank you for your great composition & music!