30年前の3月20日、自分は会社員2年目で、
当時の勤め先のオフィスが麻布十番にあったので、毎日日比谷線で
通勤をしていた。
そう、大江戸線も南北線もまだ開通していなかった時代。
六本木から15分近く歩いて通う、なかなか大変な通勤だった。
1995年の3月20日も、いつものようにJRで恵比寿駅まで行き、
日比谷線に乗り換えるところだった。
9時30分ぐらいに出社だったから、8時40分とかそれぐらいだったと思う。
いつもの日比谷線への乗り換え口はシャッターで閉ざされ、
駅員の人が「火災が発生したので電車は止まっている」というようなことを
アナウンスしていた。
困ったものだと思ったが、麻布十番はそう遠くないのでタクシーに乗り、
会社まで向かったのを覚えている。
会社についたら他の社員もみな、地下鉄に乗れなかったとかで、
遅刻も多く騒然としていた。
オフィスではいつもJ-WAVEのラジオがかかっていたから、
仕事をしているとラジオが臨時ニュースとなり、
地下鉄では毒ガスが撒かれたということを伝えていた。
テレビもあったのでみんなで見て、八丁堀駅や霞ヶ関駅が、
救急隊員が多く駆けつけ、出勤途中と思われる人たちが倒れ込んでいる姿が
映し出され、これは相当な異常事態だと悟ったのだった。
その後数日は、この事件の操作でオウム真理教の本部に捜査が入ることを報道されていた。
連日のように報道され、教団幹部の人間もテレビに出演したりと、
異常な状況だった。
社会も、警察や国家も、こういったカルト教団の危険な動きを
察知したり対策することができなかったのは、苦い教訓として記録し、
遺していくべきだ。
個人的にはそれ以上に、マスメディアはみな大きな反省をするべきだと思う。
マスメディアだけじゃない、文化人や芸能人、知識人と呼ばれる人にも、
当時オウムや麻原を面白がり、持ち上げて重宝した連中がたくさんいる。
宗教学者の島田裕巳は、オウムが宗教の本来の姿だとやたら持ち上げていた。
中沢新一も、吉本隆明も。
吉本隆明なんかは、渋谷陽一が出版していた雑誌「CUT」なんかで、
オウムの教えをベタ褒めしていて、サリン事件のもっと前、当時大学生だった自分が読んでも、
なんだか得体の知れない君悪さを感じたのを鮮明に記憶している。
テレビでは田原総一郎の「朝まで生テレビ」にも麻原は出ていたし、
とんねるずの深夜番組や、色々にも出演をしていた。
メディアは30年の節目でニュースや特集をやっているようだが、
自分たちの反省や総括をちゃんとやったらどうか。
TBSも坂本弁護士ビデオ問題とか、節目で検証や総括を出すべきだと思う。
30年経った現在、強く思うのはカルトやスピリチュアルへの警戒感は、
自分にとっては全く消えないことだということ。
そして、世の中見渡すとオウムにも似た危ういことがいっぱい起きているということ。
それは宗教というわかりやすい形ではなく、政治や思想のような形で、
同じことを繰り返しているように思う。
そういうものを面白がっているうちに、少しずつ悪いことは起きるものだ。
自分の人生の中でも絶対に忘れることのないであろう、
強烈な体験とその記憶を、少しでも文章に残しておきたいので、
書いてみた。
2025年3月21日金曜日
2025年3月13日木曜日
Roy Ayers, Everybody Love The Sunshine...
ここ最近は、訃報が続いていて気分が下がってしまう。
ヴィブラフォンプレイヤーで、Jazz Funkのパイオニアだった、
ロイ・エアーズまでも亡くなってしまった。
本当に大好きなアーティストで、いつも聴くことの多い人だったから、
とてもショックだ。
ロイ・エアーズはブルーノート東京で、最前列でライブを観ることができた。
熱演の素晴らしいライブだったが、ライブの終盤で
彼のヴィブラフォンのマレットが手元から落ちてしまったのだが、
それを拾ってステージ上のロイに渡したら、
ニヤッと笑ってくれたのを強烈に覚えている。
その後もビルボードライブでも観る機会があり、
その時はHip Hop界のレジェンド、ピート・ロックとの共演だった。
客席にはかつてのB-BOYが溢れていたのを覚えている。
ロイの作品はどれも素晴らしいが、
やはり70年代初頭から80年代にかけての、ファンク路線が強い時期が
自分は一番よく聴いた。
サントラ「COFFEY」も当時のブラックスプロイテーションの作品で、
音楽がめちゃくちゃカッコよかった。
確かオーサカ=モノレールの中田君が上映イベントをやっていたような。
60年代末のFela KUtiとの共演作も良い。
ロイのスタートはジャズだったけど、垣根を超えて自分の音楽を広げていくところが、
多くのミュージシャンやHip Hopのトラックメイカーから世代や時代を超えて
支持される理由だと思う。
素晴らしい音楽と演奏に敬意をこめて、ありがとうと伝えたい。
Thank you for your music & vibration, Mr. Roy Ayers.
何度観ても感動する、ロイのTiny Desk Concert。
ヴィブラフォンプレイヤーで、Jazz Funkのパイオニアだった、
ロイ・エアーズまでも亡くなってしまった。
本当に大好きなアーティストで、いつも聴くことの多い人だったから、
とてもショックだ。
ロイ・エアーズはブルーノート東京で、最前列でライブを観ることができた。
熱演の素晴らしいライブだったが、ライブの終盤で
彼のヴィブラフォンのマレットが手元から落ちてしまったのだが、
それを拾ってステージ上のロイに渡したら、
ニヤッと笑ってくれたのを強烈に覚えている。
その後もビルボードライブでも観る機会があり、
その時はHip Hop界のレジェンド、ピート・ロックとの共演だった。
客席にはかつてのB-BOYが溢れていたのを覚えている。
ロイの作品はどれも素晴らしいが、
やはり70年代初頭から80年代にかけての、ファンク路線が強い時期が
自分は一番よく聴いた。
サントラ「COFFEY」も当時のブラックスプロイテーションの作品で、
音楽がめちゃくちゃカッコよかった。
確かオーサカ=モノレールの中田君が上映イベントをやっていたような。
60年代末のFela KUtiとの共演作も良い。
ロイのスタートはジャズだったけど、垣根を超えて自分の音楽を広げていくところが、
多くのミュージシャンやHip Hopのトラックメイカーから世代や時代を超えて
支持される理由だと思う。
素晴らしい音楽と演奏に敬意をこめて、ありがとうと伝えたい。
Thank you for your music & vibration, Mr. Roy Ayers.
何度観ても感動する、ロイのTiny Desk Concert。
2025年3月1日土曜日
Chris "SUPERBAD" Jasper
訃報が続くのが辛いが、アイズレー・ブラザーズの「3+3」以降、1970年代の黄金期を支えた、
Chris Jasperが亡くなってしまった。
「3+3]からのアイズレー・ブラザーズは、セルフコンテインド、自分たちで演奏して歌うバンドスタイルに移行したのだけど、
そのバンドサウンドを支えた若い3人の一人として活躍をしたのがクリスだった。
個人的にはギターのアーニー・アイズレーに注目と関心が行ってしまうが、
客観的にアイズレー作品を聴けば、クリスの才能と貢献度の大きさは強く感じるものだ。
70年代ファンクに夢中になり始め、割とすぐに聴いたのが70年代のアイズレー作品で、
「3+3」はもちろん、「THE HEAT IS ON」や「GO FOR YOUR GUNS」、「WINNER TAKES ALL」あたり、
大好きだった。
80年代にアイズレーが分裂したあとの若手だけのグループ、
アイズレー・ジャスパー・アイズレーも好きだった。
今でも"8th Wonder Of The World"とか聴くとテンションが上がっていく。
80年代の日本の歌謡曲にも相当影響を与えたのでは?
アイズレーのサウンドの話に戻ると、大きく2種類の方向性を感じる。
ひとつはアーニーのギターが主体となり、ギターソロを弾きまくるようなタイプ。
ヒット曲で言えば「That Lady」などだし、「Voyage To Atlants」とか。
名盤「Between The Sheets」のオープニングを飾る「Choosey Lover」もそんな曲。
一方、クリスのキーボードが全体に響くタイプの曲。
ファンクで言えば「Live It Up」とか「The Pride」のようにクラビネット、エレピがかっこいい曲。
バラードでは言わずもがなの「For The Love Of You」、そして「Between The Sheets」タイトル曲。
もちろんP-Funkのパーラメントとファンカデリックのように明確にはっきりと分かれているわけではないので、
ギターもキーボードもしっかりと響いてくるのだけど、大きく分けると方向性はあったように感じる。
名人プレイヤー、アレンジャーでありプロデューサーでもあったクリスを偲んで、
しばらくはアイズレーやクリスの関わった作品を聴こうと思う。
Rest In Peace, Chris "SUPERBAD" Jasper. Thank you for your music, songwriting and creativity.
Chris Jasperが亡くなってしまった。
「3+3]からのアイズレー・ブラザーズは、セルフコンテインド、自分たちで演奏して歌うバンドスタイルに移行したのだけど、
そのバンドサウンドを支えた若い3人の一人として活躍をしたのがクリスだった。
個人的にはギターのアーニー・アイズレーに注目と関心が行ってしまうが、
客観的にアイズレー作品を聴けば、クリスの才能と貢献度の大きさは強く感じるものだ。
70年代ファンクに夢中になり始め、割とすぐに聴いたのが70年代のアイズレー作品で、
「3+3」はもちろん、「THE HEAT IS ON」や「GO FOR YOUR GUNS」、「WINNER TAKES ALL」あたり、
大好きだった。
80年代にアイズレーが分裂したあとの若手だけのグループ、
アイズレー・ジャスパー・アイズレーも好きだった。
今でも"8th Wonder Of The World"とか聴くとテンションが上がっていく。
80年代の日本の歌謡曲にも相当影響を与えたのでは?
アイズレーのサウンドの話に戻ると、大きく2種類の方向性を感じる。
ひとつはアーニーのギターが主体となり、ギターソロを弾きまくるようなタイプ。
ヒット曲で言えば「That Lady」などだし、「Voyage To Atlants」とか。
名盤「Between The Sheets」のオープニングを飾る「Choosey Lover」もそんな曲。
一方、クリスのキーボードが全体に響くタイプの曲。
ファンクで言えば「Live It Up」とか「The Pride」のようにクラビネット、エレピがかっこいい曲。
バラードでは言わずもがなの「For The Love Of You」、そして「Between The Sheets」タイトル曲。
もちろんP-Funkのパーラメントとファンカデリックのように明確にはっきりと分かれているわけではないので、
ギターもキーボードもしっかりと響いてくるのだけど、大きく分けると方向性はあったように感じる。
名人プレイヤー、アレンジャーでありプロデューサーでもあったクリスを偲んで、
しばらくはアイズレーやクリスの関わった作品を聴こうと思う。
Rest In Peace, Chris "SUPERBAD" Jasper. Thank you for your music, songwriting and creativity.
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