ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するという事で大きな話題になっている。
ボブの功績が認められたことは喜ばしいかぎりだけど、どこかモヤっとする部分もあって、
それはSNSでも書いたのだけど、やはり彼の声や歌い方、メロディや演奏あってこそのボブ・ディランの魅力なのだ。
ノーベル賞もこの際、音楽賞とか文化賞とか創設してもよかったんじゃないだろうか?
ディラン・トーマスからその芸名を取ったことや、T.S.エリオットの影響もあるだとか、
自分は大学生の時、まさにそういった英米文学を専攻し現代詩(モダニズム)の分野を勉強したので、
ボブ・ディランの詩に魅了もされてきたけど、やっぱディランは音楽として素晴らしいのだ。
彼の歌詞には色々な物語や意味合いが含まれ、時に難解だったりもする。
でもそういった言葉を紡ぎ合わせる上で重要な根幹を成しているのが、それがまさに音楽だと感じる。
今まで、なんとなくそんな思いだったけど、今日の朝日新聞の文芸欄で、
萩原健太さんがボブ・ディランについて書いていたことが非常に良かった。
自分がなんとなく思っていたことを、さすがプロ! とても的確に書かれていた。
〜膨大な、判然としない言葉の渦を抜け1番ごとの 最終行へ行き着いたところで、曲名でもある決めフレーズが鮮やかに歌い放たれる。
その瞬間、聞き手に押し寄せるカタルシスたるや、まるで優れた小説のクライマックス。この、ある種の「ツンデレ感」をともなった痛快さが多様なディラン像をひとつに束ねてくれる。
そういえば、ディランの多くの名曲ってそういう構成だよね。
ところで、ノーベル賞サイドからディランに連絡がまだ直接とれないらしい。
受賞後のライブでも全くその事に触れなかったそうな。
そういうところがディランは面白いし最高だ!
授賞式に来るのか来ないのか、まさにあの映画「ラスト・ワルツ」状態!
きっと15分前に出席を決意するに違いない!なんてね。
数年前に観た、ディランをテーマにした映画「I'm Not There」をふと思い出した。
なかなか面白い映画で、いろんな時代のディランをモチーフに俳優たちが演じるのだけど、
ケイト・ブランシェット演じるスターのディランが最高だった。
さまざまな「ディラン」の物語だというのに、「I'm Not There」そこには居ないのだ。
ノーベル賞受賞の喧噪に、渦中の人物たる自分が”不在”であることを、ディランは楽しんでいるような気がする。
個人的なディランとの出会いは、やはりビートルズやストーンズを一緒に漁っていた友人経由。
まだディラン自身が初々しい「Freewheelin'」だった。
十代のころ一番好きだったアルバムは「Blonde On Blonde」。
「追憶のハイウェイ61」も好きなアルバムだ。80年代は「We Are The World」やライブエイドの印象が強くて(一番最初の入り口はこれだったかも)、
なんかダミ声の枯れたオジさんという印象だった!
まあ、なんだかんだで好きだなあ、ディラン。
80年代以降のアルバムは正直もってないの多いから、ちゃんと聴いてみよう。
↓ノーベル賞授賞式はどうか知らないけど、なんとか駆けつけて歌ったラストワルツの映像。
このときのディランは本当かっこいい!
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