以前から癌である事を公表しており、最近も奥さんのジュディだと思うが、もうそう長くはない、というツイートもあり覚悟はしていたのだが、実際にそうなってしまうと重い気持ちだし悲しくてしょうがない。
近年はP-FunkというよりSteve Kimockのバンドメンバーや元ミーターズのレオ・ノセンテリのバンドの一員として来日する事も多かった。
そのたびフジロックやビルボードライブで彼の演奏を観にいったものだ。
P-Funkにおける中心人物の役割を言うなら、
ジョージ・クリントンは頭脳と心
ブーツィー・コリンズは運動神経と下半身
そしてバーニーは感覚神経と両手
だろうか。
バーニーの音楽的才能がP-Funkの音楽を彩り、刺激となる尖った部分をつくりだしていたと思う。
ソウル界においてシンセの導入や鍵盤楽器のイノベイターといえばスティーヴィー・ワンダーが浮かぶが、
バーニーのもたらした革新性や斬新さはスティーヴィーと双璧だと思う。
シンセサイザーでベースを弾いたのはスティーヴィーの方が早かったが、大名曲「FLASHLIGHT」のシンセベースのサウンドとベースラインはバーニーにしか作り出せなかったものだと思うし、これ以降多くのソウル、ファンクアーティストが取り入れていったものだ。
彼の作り出した沢山の楽曲やフレーズは、未だに自分は沢山演奏させてもらっている。
本当に感謝だ。
これからも沢山彼の音楽や演奏から影響を受け続けると思う。
REST IN P, Bernie Worrell....
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