2025年2月4日火曜日

FF29、その前の1995年のこと

2月11日にFREEFUNKの”CELEBRATION DAY"としてバンドの29周年、そして自分の誕生日も
まとめてお祝いということでライブをやるのだけど、
FREEFUNKの最初のライブが1996年2月5日、下北沢club 251だったので、
2月5日をバンドの記念日ということにしている。

でも、その前には色々試行錯誤があり・・・ということは
だいぶ前、2018年の航海日誌にも書いた。

1995年からちょうど30年ということで、世の中でもそんなニュースや特集を見かける。
1995年は色々と大きな出来事が続いたからだろう。

今でも記憶に新しいのは、1月の阪神淡路大震災と3月の地下鉄サリン事件だ。
この2つは自分の人生の中でも忘れることのない大きな出来事だった。

1995年は、個人的にも大きな節目だった。
社会人2年目を迎え、輸入レコードの卸販売の会社で仕入れをやってみろと言われ、
それまでひたすらダンボールを開けてレコードを仕分けて発送する仕事だったのが、
急にデスクワークが増え、色々な取引先と会って話すチャンスをもらった。
このままダンボールをたたみ続けるのか?と葛藤もしていたから、
良い機会だったし、結果としてバイヤー、企画、色々と音楽業界の一員として働いてきたのは、
よかったことだと思う。

世の中は、暗いニュースが続き、不景気の状態だった。
株価低迷、超円高という時期だ。 でもありがたいこと?に輸入レコード屋にとっては、円高は仕入れコストが下がるので、
追い風となり、勤めていた会社も新規出店を続けていた時期だった。

そんなわけで、この年の夏、銀座の山野楽器でフェンダーUSAカスタムショップの白いストラトキャスターを奮起一発、
購入した。
円高のおかげでカスタムショップの新品も24〜25万円ぐらいで購入できたのだ。
会社でもらった夏のボーナス一発で購入できたのだ。
この一本は言うまでもなく、今も大事に使っているジミヘン・モデルだ。

おぼろげにカタチが見えてきたバンドに、そろそろ名前をつけようという時期だった。
白いストラトとともに毎週スタジオでリハを繰り返していた。
そんな年だった。

こうして振り返ってみると、今に繋がる変化や決断があったのだなと感じる。

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